メルマガイドよくある質問サイトマップ

2008メルマ!ガ オブ ザ イヤー発表
2008メルマ!ガ オブ ザ イヤー発表

虹の国・南アフリカ情報・2009

RSS
トップ > 地域情報 > 海外 > アフリカ > 虹の国・南アフリカ情報・2009
最新号をメルマガでお届け

この記事の発行者<<前の記事次の記事>>最新の記事

虹の国・南アフリカ情報・2007

発行日: 2007/3/14

===================================

 ★☆★ 『虹の国・南アフリカ情報・2007』 ★☆★ 2007.03.14

===================================

◆南アフリカの岩絵

先住民族という言葉は使ってはいけない言葉みたいです。
ネイティブ・アフリカンというような言葉を使わなければいけないのでしょう
が、うまい言葉が見つからないのでこのような言葉を使わせて頂きます。
お詫びいたします。

南アフリカの新聞に最近発見された岩絵のことが書かれていましたので、南ア
フリカ歴史について調べてみましたら次のように書かれていました。

南アフリカには、もともと狩猟民族のサン族(ブッシュマン)とコイ族(ホッ
テントット)が住んでいて、15世紀頃に現在のバンツー系のアフリカン(黒
人)が南下してほぼ全域に定着したといわれます。
ほぼ同じ時期の1488年に、ポルトガルのバーソロミュー・ディアスが喜望
峰を発見し、1497年には同じポルトガルのバァスコ・ダ・ガマがナタール
を発見しました。
ヨーロッパ人の入植は、ずっとあとになった1652年にオランダ人のヤン・
ファン・リーベックがオランダ東インド会社の東洋貿易の中継基地として、ケ
ープタウンに居留地をつくったのが始まりです。
オランダからの移民たちは、自らをボーア(オランダ語で農民)と称して入植
地を開拓していきました。
またオランダに亡命していたフランス人のユグノー(新教徒)も多数移住し、
入植者の増加で殖民地は内陸に向けて拡大しつづけました。しばしばコサ族
(黒人の一部族)の抵抗にあい衝突が起こるようになりました。
18世紀末から19世紀の初頭にかけて、ヨーロッパでナポレオン戦争が起こ
ると、喜望峰をインド航路の重要拠点と認識したイギリスは、南アフリカがフ
ランスの手に落ちることを危惧して占領しました。

十数年前、最初に南アフリカを訪問するまでは、南アフリカの先住民族は黒人
と思っていましたが、黒人でも白人でもない、コイ・サン人だと知りました。
ホッテントットやブッシュマンは使ってはいけない俗語みたいです。


私が知った(学んだ)のは南アフリカの白人の歴史で、黒人の歴史ではありま
せんでした。
南アフリカのジンバブエに近いリンポポ州では古い王国の遺跡が見つかってい
て、もともと黒人の方たち住んでいたというのが定説になっていたみたいです。
南アフリカはアパルトヘイト時代、白人の先住性を肯定するために、黒人やコ
イ・サン人の先住性を肯定するような遺跡は公表しなかったみたいです。
ケープタウンのある西ケープ州、そして東ケープ州、北ケープ州は、黒人が南
下し、白人がやって来るずっと以前からコイ・サン人が住んでいて、岩に書か
れた絵が今でも残されていています。
コイ・サン人は戦うことが得意でなかったらしく、白人がやって来ると人数を
減らして行き、気がつけば姿を消していたそうです。

現在、サン人は南アフリカ西北部、ナミビア、ボツワナに住んでいて、移動し
て生活している国境なき人々だそうです。
2004年の南アフリカの選挙の時のニュースによれば、ナミビアに住むサン
人はナミビアから国籍を与えられなかったと書かれていました。
南アフリカの北西部に住むサン人は南アフリカからテンポラリー国籍を与えら
れていて、選挙管理委員会の人たちが投票の要請へ行ったら、すでに別の地域
へ移ったあとだったそうです。
すぐ近くの定住している別のサン人の集落へ行って投票の要請をしたそうです
が、投票(南アフリカ政府)に興味を示さなかったそうです。


南アフリカの西ケープ州、東ケープ州、北ケープ州の各所に残されている岩絵
ですが、1990年の中頃にはあまり発行されていませんでしたが、数冊買っ
て持ち帰ってきました。

2年前ほどの南アフリカの新聞に、「ケープタウンから北東へ向かうワインラ
ンド、そこからナミビア沿いにボツワナへ繋がるルートにはコイ・サン人の描
いた岩絵や遺跡が数多く残されていて、南アフリカ政府はこのルートを"コイ・
サンルート"と名づけて、岩絵や遺跡を保護する。このルート上にはコイ・サ
ン人の住む集落を置く」という観光化のニュースが掲載されていました。
「ナミビアとボツワナとの国境近くの現在でもコイ・サン人が住んでいる乾燥
地帯には井戸を掘って定住も呼びかける」と書いてありました。
また、「経済的な支援も計画しているが、自分はコイ・サン人」と名乗りをあ
げる者は殆どいない」と書いてありました。
かつての迫害の経験もあって名乗りを上げたくなく、経済援助で生活するより
も一般社会の中で生活するほうが都合がよいのかもしれません。
南アフリカ南部では、純粋なコイ・サン人も少なくなっているのかもしれませ
ん。
かつてガーデンルートを旅している途中でカンゴー鍾乳洞へ行った時、ツアー
ガイドに一人のサン人の方を紹介してもらいましたが、とてもサン人には見え
ない混血の方でした。
背の低さと褐色の肌がサン人の面影を残していました。

さて、話が脇道にそれてしまいましたが、「コイ・サンルートの一部には東ケ
ープ州のカンゴー鍾乳洞やドラッケンスバーグ山麓の岩絵がある地域もコイ・
サンルートにする」ということが書いてありました。
最近、研究者がドラッケンスバーグ山麓の岩絵を調査して200以上の岩絵の
場所を確認したそうですが、まだ調査していない岩絵もまだ多くのこされてい
るそうです。
岩絵の多くは、人間、動物、そして狩をする人間が描かれているそうですが、
今まで発見されたものとは違う絵が描かれているものがあったそうです。
その中には、人から動物へ変身し、その動物が雨乞いをしている、古い言い伝
えの話の内容が描かれているそうです。

話は余談になってしまいますが、南アフリカのナショナル・ランゲージは11
言語あります。
南アフリカの友人は、「南アフリカには11言語の他に、さらにいくつかの言
語がある」と言っていました。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
          写真を掲載している関連ブログ
         http://plaza.rakuten.co.jp/yeboo/
     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
===================================

電子メールマガジン: 『虹の国・南アフリカ情報・2007』
           melma ID: 00103598
発行元: 沢木宏志

===================================

この記事の発行者<<前の記事次の記事>>最新の記事

 
  規約   
>> メルマ!の会報誌もお届けします

ブックマーク: はてなブックマークに追加del.icio.usに追加Buzzurlにブックマークニフティクリップに追加ライブドアクリップに追加Yahoo!ブックマークに登録My Yahoo!に追加Add to Google

この記事へのコメント


コメントを書く
コメントはありません。

このメルマガの最近の記事





おすすめメルマガ詰め合わせ2009年 あなたの今年の運命は?ゆく年くる年メルマガ!

メルマ! ガ オブ ザ イヤー 受賞メルマガ2008年度の受賞メルマガ
2007年度の受賞メルマガ
2006年度の受賞メルマガ
2005年度の受賞メルマガ




melma! ご利用規約 │ メールマガジン発行規約 │ マスコミに関するお問い合わせ │ 会社概要 │ プライバシーポリシー
インターネット広告 サイバーエージェント