虹の国・南アフリカ情報・2005
発行日時: 2005/7/25_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
★☆★ 『虹の国・南アフリカ情報・2005』 ★☆★ 2005.07.25
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7月18日はマンデラ前大統領の87歳の誕生日でした。
10年前のことが思いだされましたので、当時のことについて紹介したいと思
います。
◆マンデラ前大統領、87歳の誕生日
最近の南アフリカのニュースは犯罪に関することが多かったのですが、久々に
ホットなニュースが掲載されていました。
何回かに分けて、昔の関連する記事を紹介したいと思っています。
7月18日はマンデラ前大統領の誕生日でした。
7月18日の0時1分、ケープタウン沖にあるロベン島の、かつての刑務所の
46664号(マンデラ前大統領の部屋)前でトーチに点火がされたそうです。
このトーチはラガーメン(ラグビー選手)の手に握られ、ケープタウン(西ケ
ープ州)からインド洋沿いにあるポートエリザベス(東ケープ州)へ向かった
そうです。
このトーチは南アフリカの14のラグビー協会のラガーメンによって運ばれる
そうで、「1人の走る距離が200メートルから1キロ」と書かれていました
ので、幼いラガーメンも加わっているのかもしれません。
このラガーメンには、"46664"というロゴが書かれた黒の四輪駆動車が伴
走し、"エイズ・キャンペーン"をしながら9つのすべての州を回るそうです。
7月23日、ヨハネスブルクのエルスパークで行われるラグビーの試合、マン
デラ・カップ(スプリングボックス対オーストラリア)のキックオフ前に、ス
プリングボックスの元主将(現、21歳以下と19歳以下のチーム監督)フラ
ンソワ・ピナールに渡されるそうです。
7月23日の試合では、スプリングボックスは"46664"のロゴの入ったジ
ャージを着るそうです。
7月18日のトーチへの点火と7月23日のトーチ到着時のマンデラ前大統領
の行動について書かれていませんでしたが、ぜひともピナール元主将からトー
チを受け取るマンデラ前大統領の写真を見てみたいものです。
1995年の第3回ラグビーWカップの雑誌を見てみました。
私は、残念ながらこの決勝戦はチケットが入手できなかったため観戦できませ
んでしたが、この雑誌の写真を見て、「このときから、南アフリカの民主化が
加速した」と思っています。
◆1995年ラグビーWカップで南アフリカ優勝
1995年6月、私は南アフリカに滞在していました。
この時の訪問は3年ぶりであり、1994年5月の全人種による制憲選挙でマ
ンデラ大統領(当時)が誕生し、興味のある時期でした。
テレビのスイッチを入れると、いつも"ジュピター"という歌が流れていました。
この"ジュピター"は、日本でも2年程前に、若い女性歌手が歌って流行した、
あのメロディーです。
この歌は、1995年ラグビーWカップのテーマソングだったのかもしれませ
ん。
会社の中の白人の知人たちは、サッカーの話題であふれ、スプリングボックス
(南アフリカのナショナルチームの愛称)の試合がある日は、オフィスの中か
らラジオ放送が聞こえてきました。
さすがに、お偉いさんたちはラジオを聞くわけにはいかないらしく、情報係り
(?)の秘書は電話番に追われていました。
今にして思えば、まだよき時代(?)の南アフリカが残っていました。
黒人の知人たちにラグビーのWカップについて聞いても、「分からない」の一
言で、全く無関心を装っていて、「ラグビーは白人のスポーツだ!」というこ
とを感じました。
話は少し飛びますが、2002年に南アフリカを訪問した時、白人の知人から
「南アフリカのサッカーWカップでの活躍はすごかっただろう!」と言われ、
「南アフリカも変わった」と思いました。
かつて南アフリカでは、「ラグビーは白人のスポーツ、サッカーは黒人のスポ
ーツ」と言われ、ある日本人の方から、「南アフリカでボールを蹴るな! も
しサッカーをすれば、周囲が"名誉白人"として認めなくなる」と言われました。
まあ、"名誉白人"なんていう称号はどうでもよかったのですが、南アフリカの
白人住宅街で暮らすには邪魔になるものではありませんでした。
1995年6月の読売新聞には、対ニュージーランドとの決勝戦について、こ
のように書かれています。
『《人種を超えた一体感》 会場はキックオフ1時間前には65,000人の
観客で満員に。99%は白人だったが、今回の南ア公式応援歌となった黒人の
労働歌「ショショローザ」をズールー語で大合唱。人種を超えた一体感を盛り
上げた。マンデラ大統領も観戦。かつて白人ラグビーの象徴とされたスプリン
グボクス(南ア産カモシカ)のエンブレムの入った帽子とジャージーを身に着
けた姿で会場に手を振り、大きな拍手を浴びていた』
南アフリカの新聞には、緑のスプリングボックスのジャージを着たマンデラ大
統領(当時)がピナール主将(当時)に優勝杯を渡す写真が掲載されました。
少し大げさな書き方になるかもしれませんが、「マディバ(マンデラ前大統領
の愛称)が白人しか着ることができなかったスプリングボックスのジャージを
着たのだから」ということで、白人の方たちも黒人の方たちも、「われわれは
同じ南アフリカ人だ」という雰囲気が生まれてきたように思います。
私は南アフリカ人ではないのでこのようなことはわかりませんが、少なくとも
「"雰囲気"が変わった」と感じました。
当時、ラグビーのWカップの試合はテレビで見ていましたが、観客席では古い
アパルトヘイト時代の旗が振られ、古い国歌である"ダイステム"が合唱され、
白人の方たちは、「この競技場の中だけは治外法権の白人国家だ!」という雰
囲気を満喫しているように思えました。
それが、決勝戦が近づくにつれて、その古い国旗の数が減り、古い国歌の歌声
が少なくなっていきました。
マンデラ大統領がスプリングボックスのジャージを着たのは有名な話ですが、
ピナール主将の呼びかけで、スプリングボックスのメンバーが、新国歌「ンコ
シシケレリアフリカ・ダイステム」の全歌詞を歌ったのは有名な話だそうです。
この新国歌「ンコシシケレリアフリカ・ダイステム」は1〜4番までがすべて
違う言語であり、その1番の"ンコシシケレリアフリカ"は黒人言語のズールー
語で書かれていて、かつては、白人が口にすることがなかった言語だったので
す。
ピナール主将は優勝後のインタビューで、「厳しい戦いだった。ニュージーラ
ンドは素晴らしいラグビーをした。ただわれわれには4,000万人の南アフ
リカ国民の応援があった。最後まで一つになったラグビーができた」とコメン
トしたと日本の新聞に書かれていました。
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