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『あふりかくじらの自由時間』【103】
発行日時: 2007/9/3
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『あふりかくじらの自由時間』
【103】
http://africanwhale.net/
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9月に入りましたし、もうニッポンは秋の様相といった感じです。
これからまた残暑がぶり返そうとも、やっぱり日の光が少し変わってきましたよ。
★ ★
いかがお過ごしですか。
わたしも日本へ帰国してから一ヶ月ほど経ちました。
少しずつネジを巻くように、ひとつずつの物事をこなしながら生活しています。
次の「アフリカ」へ向けて、どのような仕掛けが動き出すのか。
そんな中、ボツワナのセロウェ村で出会ったひとからメールの返信が来て、
7月のセロウェ村訪問のことを思い出しました。
大学生のとき以来、初めて再訪した場所です。
作家ベッシー・ヘッドが暮らしたところです。
そして人々は、ベッシーのために集まりました。
☆ ○o.+・゜○o..+・。☆
その女性は少しベッシーに似ていた。
肌が黒くって、背が小さくちょっとふくよかで、そして短い髪と大きな目。
しゃべり方がとても優しくてゆっくりとしていた。
アメリカ人で、ベッシーが生きていたころから彼女の研究をしていたひとだ。
そして、わたしが大学生だったころから、文献の中で知っていた名前だった。
わたしの中では有名人で、しかもいちばん強烈な出会いだったのは間違いない。
★ ★
7月、二度のボツワナ訪問をすることは、わたしにとってほんとうに
「歴史的」なことであった。前回も書いたけど。
一度目は、作家ベッシー・ヘッドの生誕70周年を記念して、彼女の誕生日に
あわせてボツワナ大学で開催されたベッシー・ヘッド学会へ出席した。
(学会というよりシンポジウムかな。
詳細は『あふりかくじらの自由時間』【101】をご参照。
http://www.melonpan.net/mag.php?005603 )
そして二度目は、ボツワナ中東部に位置する大きな村セロウェで開かれた
「ベッシーヘッド・フェスト」への参加のためだった。
★ ★
作家でありボツワナ初の女性最高裁判事ユニティ・ダウのスピーチで、
セロウェ村の「ベッシーヘッド・フェスト」は始まった。
(ユニティはとてもすてきな女性。そのスピーチはベッシーに対する
とても率直な思いが述べられていて、じつにすばらしいものだった。
彼女についてはこちら。http://en.wikipedia.org/wiki/Unity_Dow )
集まったひとは、100人くらいだったか。
セロウェ村の人たちをはじめ、世界中からベッシーを追いかけて
南部アフリカまでやってきた人たちである。
ベッシーが86年に亡くなってもう20年以上。
これほどまでに、彼女は愛されているのだ。
★ ★
わたしにとって、村を訪れるのは9年ぶりであった。
大学四年生だったあのころ、どうしてもボツワナに行かなくてはという
自分の強い思いを周りのひとが支えてくれ、日本を飛び出した。
二ヶ月間という南部アフリカでの滞在期間のうち、二週間ほどを
セロウェ村ですごした。
カーマ三世メモリアル・ミュージアムで、何千というベッシーの書簡や
原稿などを閲覧し、コピーするためであった。
彼女の研究をしているひとたちは、こうして皆セロウェ村に来て
ミュージアムにこもりアーカイブ調査をするのだ。
あのころのわたしは、手探り状態で必死だった。
今考えても、よくボツワナ政府の許可を得て村までやってきたものだと思う。
★ ★
村で会ったひとは、だいたい前回の学会と同じであったので、
その感動については割愛する。
(わたしにとってはとても「有名人」ばかりだった)
とりわけ印象的だったのは、あのとき会ったきりだった博物館の職員の男性。
彼は背が高くってドレッドヘアで、すごくアフリカンなスマートさがあり、
しかも親切な良いひとだ。
そして、ベッシー・ヘッドのひとり息子、ハワード・ヘッドだった。
わたしはあのとき、ハワードに手紙を書くと言いつつも、一通だって
書かなかったのだけれど、彼はわたしの姿を見かけると、なんと近寄ってきて
わたしの名を呼んだのだ。
まさかわたしのことを覚えてくれているとは思わなかった。
しかも名前まで正確に!
ベッシーの面影を残す彼の懐かしい顔を見て、大学生のころを思い出し、
研究者としてだけではなく、それ以上の存在となっているベッシーと
関わってきたこれまでの年月が、ちゃんと積み重なってきていたことを実感した。
わたしもちゃんと、この有名な研究者やベッシーヘッド・ファンのなかに
含まれているのだ。
★ ★
ミュージアムで行われたフェストでは、新しく内部に作られたベッシー・ヘッドの
展示への案内や、子どもたちによる創作短編小説のコンテストなどが行われ、
民芸品や彼女の関連本のほかに、Tシャツまで売られていた。
もちろん、それらの売り上げは新しく作られたベッシー・ヘッド基金へ。
彼女関連の活動だけでなく、ミュージアムの資料の整備などにも活用される。
わたしが大学生だったときから考えると、これは格段の進歩である。
その後、バスを用意してベッシーの家(最初に出版された長編小説
"When Rainclouds Gather"の印税で建てられた。現在ハワードが住んでいる)
まで行き、小さな記念式典と植樹が行われた。
最後には、セロウェ村のはずれの眺めの良い丘の上にあるベッシーの墓で、
皆が集まる中、詩が読まれた。
ボツワナのテレビ局も、この様子をその日のニュースで二度放送した。
セツワナ(ツワナ語)と英語のニュースだ。
それくらい、ベッシーといえば現在ではボツワナの有名な作家なのである。
★ ★
素晴らしかったのは、スワネング・ヒル中学校の生徒たちによる演劇である。
この劇の脚本は、ボツワナ大学の教授によってかかれ、ベッシー自身が
死んだあとに自分の人生を振り返って語るという形で書かれている。
だから、「死んだベッシー(幽霊)」役と「生きているベッシー」役がある。
あんなに小さな生徒たちが、ここまで熱演して上手に仕上げるとは驚いた。
カレッジのホールで、たいした照明や音響があるわけでもなかったけれど、
彼らの演技力に圧倒され、わたしは思いっきり感情移入してしまい、
涙がこぼれてきたくらいだった。
(この劇の脚本のコピーまで持っていて、内容を知っていたくせに)
この劇はほんとうにベッシーの生きた時間をちゃんと描いている。
アパルトヘイト下の南アフリカでジャーナリストとして生き、
幼い子どもをつれて単身ボツワナへ渡り、教師をしたあと作家になる。
悲劇的でドラマティックな人生、それでもあまりにも激しくて、うつくしい。
彼女の気持ちを考えると、どうしても胸がいっぱいになるのだ。
★ ★
さて。
首都ハボロネに戻ってから、宿泊先のB&Bへ行くと、そのアメリカ人の女性が
村で聞いていたとおり同じ宿に宿泊していた。
彼女もわたしも、ばたばたしていてセロウェでは話をする時間がなかった
のだけれど、やっと何時間かの時間があり、彼女の部屋でわたしたちは
実に3時間近くも会話をしていた。
直感だったのだけれど、わたしには彼女が他のどんな研究者やファンや
ベッシーの友だちよりも、「特別」であり「通じ合える」ひとだと
確信していたのだ。
彼女の発言には、他のひとたちのようなある種の「ズレ」がなかったからだ。
ベッシーを直接知るひとであり、彼女に「対象」ではなくて「友人」でもなくて
もっと強いつながりを感じているひと。
それは、わたしがいつもひとりで胸の中に抱えていた気持ちと重なる。
★ ★
このときのわたしたちの話した内容を、わたしは上手く記述することができない。
でも、わたしは彼女のことばのひとつひとつを覚えているし、それは今まで
生きてきた中でやっとつかんだ重要な「鍵」であった。
わたしは彼女のことばに泣き、その場にあったトイレットペーパーを
抱えて涙をふきながら、あれこれ夢中でしゃべっていたことを覚えている。
ベッシーとかかわりあった意味。
ボツワナに来た意味。
ベッシーの作品が深いところで語りかけることば。ミュージアムに保管されている
彼女の手紙の中に書かれていることたち。
これらをすべてシェアしたうえで、話し合えることっていままでなかったのだ。
わたしは、ずっとひとりだった。
でもわたしは、自分自身がどうしようもなく「ベッシーに関わっている」のだ。
そして、彼女も。
すごく、重たく。
胸の中に抱えていたことが解きほぐされるような気がした。
このことのために、今回わたしはボツワナに導かれていったのかもしれない。
いつか、このことを書くかもしれない。
・・・。
★ ★
ハボロネでの夜、東京でお世話になったボツワナの外交官の方と再会した。
いつかこのメルマガにも書いたことがあったが、ボツワナ政府の調査許可の
取得だけでなく、彼にはほんとうにお世話になったしいろいろな話もした。
夕食をともにし、多くのことを語らった。
仕事、アフリカ、ボツワナという国、日本での思い出・・・。
二年間のジンバブエ滞在で神経が参っていた自分にとっては、ほんとうに
大切な時間になった。
この二度のボツワナ滞在のことは、くっきりと自分の胸に刻み込まれている。
それはほんとうに、「歴史的」だったのだ。
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書ききれないくらいいろんなことがありましたがまとまりのない文章しか
書けなくってすみません。
とりあえずは、写真をアップします。
ぜひご覧くださいましね。 → http://africanwhale.net/africatop.htm
読んでくださりありがとう。
あふりかくじら
+++++++++++++・。+★・。・゜゜・☆ ○o.・..+・。★
『あふりかくじらの自由時間』【103】2007年9月3日発行
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*また長くなった。すみません。
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