♪2003 高校日本史 |
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<誤記訂正1>NO-266解説(2004.10.09)時頼→時宗
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mazzn 日次(マッツンひなみ)2004年10月09日
前号>あすは授業教材『ズドーン』現代史編の完成をめざしたいと思い
>ます。
やっと出来た・・・と思ったのですが、当プリント集はB4を2つ折して
製本化するためB5で4の倍数ページにしなければいけないのに46ページ
分だということに気づきました。あと2ページ足りません(><)
何度も校正をした後になって気がついたので、あと2ページ分何を入
れようか・・・もう一度全体を眺めて、均整がとれるようにしたいと思い
ます。
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最近完成させたセンター試験過去問題・正誤判定「Senta04」から特
に重要なものをピックアップしてメルマガ版として配信させていただい
ております。
昨年度の秋に3年生の授業で類似の教材ですすめたところ、1時間に30
〜40問が限度でした。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━)))●○
♪2004 高校日本史講座☆1098〔2004-10-09〕
○●)))) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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正誤判定練習問題(Senta04より)13
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次の正誤を判定しなさい。
241−『梅松論』は、南朝の立場から南北朝内乱をえがいた史書である。
91追
242−室町幕府の侍所は京都以西の御家人の統制機関で、その長官には斯
波氏らが任命された。02本
243−有力守護大名はやがて幕府の権威を脅かすようになったため、3代
将軍足利義満は明徳の乱で大内氏を、嘉吉の乱で赤松氏を討った。
99追
244−守護が吸収した権限のなかには、それまで諸国の国衙がもっていた
機能も含まれている。03本
245−守護は、守護請によって、荘園や公領における年貢の徴収も請け負
うようになった。03本
246−国人は、しだいに地縁より血縁で結合し、惣領を通して守護に組織
されるようになった。03本
247−各地の武士たちは国人一揆を結んで地縁的な結びつきを強め、とき
には守護と対立することもあった。99追
248−幕府は必要に応じて段銭・棟別銭を課したが、守護が独自にこれを
徴収することはなかった。99追
249−室町幕府は朝廷が保持していた京都市中の市政権を吸収し、土倉や
酒屋に対して段銭や棟別銭を賦課した。91追
250−農民は分一銭の納入によって、室町幕府から年貢の一部を免除され
た。02追
解答−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
241−×、『梅松論』は、武家側(北朝の立場)から南北朝内乱をえがい
た史書である。
242−×、室町幕府の侍所は京都以西の御家人の統制機関で、その長官に
は京極・山名・赤松・一色(京の山は赤一色)の4氏(四職)が任
命された。斯波氏は畠山・細川氏とともに管領をつとめた(三管
領)。
243−×、3代将軍足利義満は1391年の明徳の乱で山名氏清を、1399年の応
永の乱で大内義弘を討った。1441年の嘉吉の乱は、赤松満祐が6代
将軍義教を殺害した事件である。
244−○、守護による国衙(国司)機能の吸収は鎌倉時代にはじまる。
245−○、守護は、守護請や半済令などにより、任国への土地支配(守護
領国制)を強めていった。こうした守護を守護大名という。
246−×、惣領は武士の一門の首長をいう。南北朝時代、惣領制は解体に
向かっていった。
247−○、国人は、地頭などの現地の領主(在地領主)から成長したもの
が多い。
248−×、守護も段銭(たんせん)を課した(守護段銭)。
249−×、土倉や酒屋に対して倉役や酒屋役を賦課した。
250−×、分一銭は、徳政令発布時に負債者の農民らが幕府に納めた銭で
ある。
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次の正誤を判定しなさい。
251−室町幕府の財政基盤の一つに、御料所とよばれる直轄領があった。
02追
252−将軍足利義教は、幕府に対して独立性を強めていた鎌倉公方の足利
持氏を、永享の乱で滅ぼした。00追
253−天竜寺造営の費用を調達するために、明に貿易船が派遣された。
01追
254−足利将軍は自らを「日本国王」と称し、中国皇帝とのあいだで対等
な関係を維持した。98本
255−勘合貿易は、足利義教により一時中断されたが、義政の時に復活さ
れた。96追
256−日朝貿易は、16世紀初めの寧波の乱を契機に衰退していった。00本
257−尚巴志の三山統一により誕生した琉球王国は、東アジアの中継貿易
基地として繁栄し、室町幕府とも交渉をもった。93追
258−13世紀ころまで北海道では、狩猟・漁撈に依存し、縄文土器系の土
器を用いる続縄文文化が展開していた。93追
259−中世においては、津軽十三湊が本州と北海道との交易の拠点となっ
ていた。97追
260−15世紀半ば、北海道では、勢力を伸ばし始めた和人に抗して、シャ
クシャインが蜂起した。97追
解答−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
251−○、御料所(直轄領)を管理した幕府直属の家臣団が奉公衆である。
252−○、永享の乱は1438−39年のことである。
253−×、天竜寺は、後醍醐天皇の冥福を祈って建立された。明ではなく、
元に派遣された。
254−×、対等外交ではなく、明の皇帝に日本将軍(義満)が服従すると
いう朝貢形式であった。
255−×、勘合貿易は、4代将軍義持により一時中断されたが、6代将軍義
教の時に復活された。
256−×、日朝貿易は、1510年の三浦の乱を契機に衰退していった。
257−○、琉球統一は1429年のことである。
258−×、続縄文時代のあと、9世紀に擦文(さつもん)文化がはじまり、
12−13世紀にアイヌ文化が成立した。
259−○、津軽十三湊を鎌倉時代から室町時代に支配したのは、鎌倉幕府
の北条氏の家来とされた安藤(安東)氏である。
260−×、1457年、アイヌの大首長コシャマインに率いられたアイヌ民族
が蜂起した。この鎮圧後、蠣崎氏が渡島半島の実力者となり、江
戸時代の松前氏の祖となる。
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創刊-2000年3月/発行-2004年10月09日
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